ミッションスクールのみなさんへ

毎年、新学期を迎える頃になると関西学院中学部・高等部や同志社香里中学校・高等学校、 大阪女学院中学校・高等学校、梅花中学校・高等学校などの学生さんが教会にいらっしゃいます。学校から言われてしかたなく来られる生徒さんもいらっしゃると思いますが、それでも大丈夫! 皆さんを心から歓迎します。保護者の方もご一緒にどうぞ。礼拝は午前10時15分からです。牧師の署名などの書類は、礼拝後に対応いたしますので、遠慮なく受付でおっしゃってください。

 

信じてなくても教会に行っていいんですか?

 

教会にはいろいろな方がいらっしゃいます。神様を信じている人、神様を信じたいと思っている人、 みなさんのようなミッションスクールの学生さん、全然わからないけど何となく興味がある人…。それぞれの思いで神様に礼拝を捧げます。「自分は神様を信じていないし、これからも信じることはないと思う」と言う人が礼拝に参加しても、もちろんかまいません。どんな方でもいらっしゃれるのが教会です。

 

神様を信じている人にとって、日曜日に教会に来るということは義務ではなく大きな喜びです。毎週、神様が教会に招いてくださっていると信じています。「一週間よくがんばったね。 わたしのところにおいで、あなたをいやしてあげよう」とおっしゃる神様の招きを感じます。

 

生きていく中で、楽しいことばかりだといいのですが、時には寂しいことや悲しいこと、気持ちがへこんでしまうこともたくさんあります。不安に押しつぶされそうになることもあるでしょう。そんなときは家族や学校の先生、友達に相談することもできますが、それすらもできないほどつらいことがあるかもしれません。実は神様は、そういう皆さんの心の奥深いところの言葉にもならないほどの悲しみや寂しさ、不安を受け止めて、共に涙を流し抱き締めてくださるお方なのです。だから安心していらしてください。

 

聖書に書かれてることって全部正しいの?

 

ミッションスクールでは、重くて厚い聖書を1冊、自分のものとして購入したかもしれませんね。この重くて厚い本の前半が旧約聖書39巻、後半が新約聖書27巻、全部で66巻の書物です。これがキリスト教の正典です。正典というのは、これだけが「正しい聖書」であるということです。最近では、これら66巻の聖書以外のものを「聖書」とか「バイブル」と呼ぶ「異端」と言われる宗教が多く存在します。気をつけなければなりません。

 

旧約聖書と新約聖書の「約」は「契約」の「約」です。つまり旧い約束と新しい約束ということです。旧い約束の旧約聖書は、イスラエル民族(ユダヤ民族)と創造主である神様との間に結ばれた契約が記された書物です。この旧い契約は、「神様が選んだユダヤの民が、神様の言葉である律法を守るなら、永遠の王国を与えられる」という約束です。この約束はのちに与えられる「救い主(メシア)」によって実現するという預言で旧約聖書は終わります。

 

新訳聖書は、その「救い主(メシア)」がイエス・キリストであること、またユダヤ民族だけでなく、すべての人類がイエス・キリストをとおして神様と「新しい契約」を結ぶことができるという内容が記されています。その新しい契約とは、「イエス・キリストを信じる信仰によって罪がゆるされて永遠の命が与えられるということ、そしてこのイエス・キリストによって約束された神の国が成就する」という約束です。

 

旧約聖書39巻を記すのに約1000年、新約聖書も含めると約1500年もの時間をかけて、約40人もの人によって書かれたといわれています。面白いことに、書いた人も職業も、書かれた時代も全く異なるのに、新約聖書も含めて、テーマが一貫しているのです。それは同じひとりの神と、同じひとつの救いの道、イエス・キリストです。これは人間の力ではまとめることができません。聖書は神の霊によって記された神の言葉なのです。

 

読んでいても難しい言葉が多かくて、意味が分からないこともたくさんあるかもしれません。それでも大丈夫! 教会の礼拝では、牧師先生が神様のみことば(聖書のことば)の深い意味を教えてくれます。それでも分からなくても大丈夫!みことばの種は心の中にまかれて、いつか芽を出してくれます。

 

聖書を知ると映画が分かる?

 

皆さんはアメリカやヨーロッパの映画が好きですか? 実はこれらの国の映画の中には、深いところでキリスト教の影響を強く受けている作品が多くあります。私たち日本人が「ももたろう」とか「花咲かじいさん」などの童話を聞いて育って、大体の内容を知っているのと同じように、アメリカやヨーロッパでは子どもたちが聖書の話を聞いて育ちます。

 

例えば『ターミネーター2』という映画をご存じですか? 未来世界で人類とコンピューターが戦争をします。はじめはコンピューターが有利だったのですが、人類に有能な指導者が現れてコンピューターサイドの旗色が一気に悪くなってしまいます。「あいつさえいなければ俺たちの勝利は間違いない」というわけで、コンピューターは殺し屋ロボットを過去にタイムスリップさせ、人類の指導者が子どものうちに殺してしまおうとする内容です。キリスト教を知っている人なら、イエス様がお生まれになった時、当時のユダヤ王ヘロデが、「救い主がベツレヘムという村でお生まれになる」という預言を聞いて自分の座が危うくなることをおそれて、生後2歳以下の子どもを皆殺しにする事件を思い出すことでしょう。

 

他にも旧約聖書のさまざまな出来事やイエス様が行った奇跡、イエス様の復活などが、アメリカやヨーロッパなど、キリスト教の国の人にとっては決まり事のようになっていて、自然と「ああ、あの話だな」と理解ができます。聖書を知ると、次に映画を観るときに、「ああ、あれかも」と思えるかもしれません。