私たちが語る教会の思い出

森小路教会を支える教会員たちの多くは、昭和25年~40年生まれ。その教会員が中心となって、昭和40年以降の教会にまつわる思い出を紹介するコーナーです。

皆さんからの昭和の思い出もお待ちしております!

※なお、コメントは承認制です。

昭和40年代の思い出

『わが家は教会』              森小路教会 MYさん

 

わたしが小学生だった昭和40年頃、わが家は教会でした。

香里園で開拓伝道をしたいと言う永井春子牧師のご希望で日曜日と祈祷会のある水曜日、自宅を提供していたのです。

日曜日は朝早く起きて家族みんなで掃除をしオルガンを運び、説教台と椅子をならべ、案内の看板をバス通りまで出しに行くなど礼拝の準備をしました。

応接間や広縁、私と姉の部屋も日曜学校の分級に使われました。

 

当時の日曜学校の写真です。純日本家屋の客間が礼拝堂で、畳を傷めないよう長い二本の板の上にパイプ椅子を並べています。

毎週のことですから両親は大変だったと思いますが、今振り返ると喜びに満ちた思い出いっぱいの日々でした。

『ノア』    

森小路教会 M.Yさん

 

子供の頃、両親はよく映画に連れて行ってくれた。家から歩いて5分くらいのところに場末の映画館が2館あって土曜日の夕方などに夕飯を終えてから家族で出かけた。

「スペンサーの山」や「素晴らしい風船旅行」「ぼくの叔父さんの休日」などを観た記憶がある。

子供への宗教教育の一環からかキリスト教を扱った映画は大阪市内の封切館までわざわざ連れて行ってくれた。「キング・オブ・キングス」「十戒」「天地創造」「偉大な生涯の物語」などを観たが小学生には字幕が難かしいうえに上映時間のやたら長い映画が多くお尻がいたくなった。

ただほとんどの話が日曜学校で教わったものだったので結構楽しんで観ていたように思う。

OS劇場で観た「ベン・ハー」は圧巻で画面の大きなことに圧倒されたし「天地創造」のノア(ジョン・ヒューストンが扮していた)は日曜学校の紙芝居で見たノアそのもので嬉しくなった。先日公開された「ノア~約束の船~」でノアが息子の嫁を殺そうと箱船の中を追い回すシーンに、これは「13日の金曜日」かとびっくりしてしまった。時代と共に映画も随分変わるものである。

『昔の教会の思い出』

N.M.さん

父の転勤に伴い入園予定の幼稚園ではなく、転居先の教団の教会の保育園に通うことになりました。月曜から土曜は保育園、日曜日は教会学校。同じところで礼拝を守りました。

保育園の先生が、教会学校の先生でもあるし、牧師先生は園長先生でした。

日曜日になると、いつもは幼児用の椅子を並べて礼拝したり、体操やお絵かきをしたり、大型積み木やトランポリンで遊ぶホールに大きな椅子が並べられて礼拝堂になります。(いや、礼拝堂が保育園のホールになっていたのかな?)同じ場所なのに違う雰囲気になるのが不思議でたまりませんでした。

大人の礼拝の間は、勝手知ったる保育園の園庭で牧師先生のお子さん兄弟や友達と遊んで待っていました。

その土地には57歳の3年間住んだだけで、私の記憶も不確かなものですが、窓にはめられた赤や緑のガラスに光が当たり、年季の入った木の床に色の影ができていて、子ども心に美しかったことを思い出します。

『教会の思い出』

N.Tさん

中学・高校となりますと、部活や塾などで教会学校の生徒が減ってしまいました。友達は誰も来なくて、先生と一対一ということもよくありました。その時、行きたくない・さぼりたいという怠け心をなんとか封じたのは、私が行かなきゃ先生が一人になっちゃう…という気持ちでした。それだけで教会学校に通っていたといってもいいかもしれません。でも、今思うと、私も心優しい大人…親でも学校の先生でもない…との関わりを求めていた気がするのです。